昨日義理の母から電話がありました。内容としては
・開業してほんとにやっていけているのか、そろそろ息子を元の看護師の仕事に向かわせた方かいいと思う。
・来年になったらちーぼーが入学する。家の仕事も学校を休ませることがないように、
なんとしてもちーぼーは学校に行くようにしなければならないよ。
こんな内容。
色んな気持ちがわきました。
まず、不登校に関して。
帰省したときもちょくちょく言っていた「ちーぼーはなんとしても学校へ」のことば。
くうちゃんの前でそれを言わないでほしい。
学校へいかないくうちゃんはだめというふうに伝わるんじゃん!って。
心底嫌がるくうちゃんを、だましだまし付き添って登校していた日々に自分自身に感じた疑問でした。
学校へ行けないのはダメなこと、だからくうちゃんも今はダメな状態なんだよって伝わってるんじゃないか・・・
学校へ行けなくてもくうちゃんはくうちゃんで、大事な存在。ダメという判断をくっつけて、未来に対する不安をくっつけて
くうちゃんがありのままでいられる時間を奪っていたんじゃないかという私の罪悪感をくすぐられる
義理のお母さんの言葉。
そして学校について。
今の環境で学校はくうちゃんらしくいられない。くうちゃんは学校へ行きたいけど行けないのではなく、
本心から行きたくない、自分と合わない。だから行かないを選択しただけであって。
ただ、長野県駒ケ根市という場所は都会のようにフリースクールがあるわけでもなく、
平日毎日過ごせるという場所はまだまだ学校しかないという状況。
親は子供の遊び相手にはなれない。
それは一緒に過ごしていて感じること。
子供同士の遊びと親と遊んでいるときは表情が違うから、やっぱり子供同士の関りはほしいなと思う。
学校はだめって思っているわけではないし、ちーぼーが楽しいと思えるなら学校は行ってほしい。
行きたいのに行けない状況であればいくらでも行けるようにサポートする。
でも、行かなければならない、行くべきだと周りの大人が強制するものではないと思う。ちーぼーが決めること。
あとはたけさんに関して。
心配と行動管理も愛情のうちだというのもわかるけど、信頼をプレゼントしてあげてほしい。
まあこれは私も子供たちと関わるときにそうしたいと思ってるところ。
こんなことも全部ぶつける生意気な嫁(笑)
これからも思っていることはお互いにはっきり言い合いましょうと言ってくれる義理の母。
ありがたやです。
学校へ行かなくてもいいじゃんってなると、まずはそれが旦那さんと共有できるか、
おじいちゃんおばあちゃんと共有できるかって母親の精神を保っていくのに大事なポイントだと思う。
義理の母にはここまで言い放ったのは昨日が初めて。
不登校を本当に受け入れるって、学校しかしらない環境で育ってきた私たちの世代にとってはすごく時間がかかると思う。
将来子供が困らないようにって一生懸命になる母親にとっても。
色んな経験を経て、今は本当に思います。
不登校は不幸じゃない。ただの選択のひとつ。