私の今まで➁

看護大学卒業後。つらいつらい日々のスタートえーん

地域の100病床位の病院に就職。出産からターミナルまで全科ごちゃまぜの病棟。
新人なのに、看護の理想も追い求め続け、技術も知識も習得に毎日寝る時間を削って勉強。
1ヶ月で8キロ体重が落ちる。
気難しいと思っていた患者さんと関係性を作りたくて、患者さんのお仕事でもあり趣味でもあるカメラを病棟に持ち込む。
休みの日は教わった一眼レフの写真をとり、患者さんにみてもらう、そんな日々。
その患者さんが亡くなると同時に、私も燃え尽き。
35キロまで体重が落ちたところでめまい、物が二重に見える症状でで起き上がれず即入院。
血圧も最高血圧77.よく立って歩けてたな(笑)
脳外科、神経内科でMRIや骨髄採取もして検査をするが目立った以上はなく、精神科へ紹介。
退院するも、病院に勤務することが怖くて療養休暇後退職。在籍6ヶ月。
人生初めての大きな挫折感を味わう。

仕事を辞めて半年間、何もできない日々。でもあせる。
何かやらなくちゃ、と休み切れない自分。眠剤飲んで眠る日々。うつですねぇ~。
西洋医学の現場で行っていることに疑問をもち、自分の無力さを感じていたため、

何か自分が直接できることが欲しいと、東洋医学を学びだす。
専門学校で全身のツボ療法、足つぼ反射を学療法を学ぶ。

専門卒業ころ、この時の彼氏のお兄さんがラーメン屋をオープンするのを手伝ってほしいと言われ、
看護の現場に戻る勇気も気力も戻っていなかったため、ラーメン屋になる。
開業すること、自営業の大変さを知る。家族ぐるみで働くことの大変さも知る。
でも、接客はもともと好きな方。ラーメン作ってた経験もあるため、なかなか楽しく仕事できる。
仕事もプライベートも彼氏と過ごす、そんな日々。
ラーメン屋で2年。お店も軌道にのったし、そろそろ看護職に戻ろうと退職。
就職前にオーストラリア3か月、放浪。オーストラリアの保育園に通い、子供たちと遊ぶ乙女のトキメキ
かわいかったなぁ。日本に戻るの嫌だったなあ。

学生の時にいた市へ戻り、社会福祉協議会で保健師として就職。
介護保険関係の大きな動きがあった年でもあり、1ヶ月に残業55時間。
土日出勤の代休も消化できない。残業が当たり前の毎日。
地域で暮らす詐欺にあうことを繰り返すお年寄りの相談にのったり、虐待の相談にのったり、
一人で動けくなってるお年寄りの身内を探す探偵みたいなこともしたり。
天井までゴミがたまった部屋の中に、嘔吐して瞳孔開きかけたお年寄りを発見して救急車呼んだり、
制度と制度のはざまで何も利用することができず、困った方たちの相談にのり、

色々なサービス組み込んで整うまで私が介護者として動かないと、この人死んじゃうじゃん!って場面も。
介護予防の仕事と、地域に暮らす本当に様々な人生模様に関わらせてもらった。
ご近所さんたちのつながりのありがたさ、人のあたたかさにも触れられた。
忙しかったけど、上司と仲間に恵まれて、自分自身の大きな経験を積ませてもらった5年間。
この職場の時に結婚し、育児休暇に入り、長男くうちゃんのことを考えると正規職員復帰は無理だと

思い、退職を決める。

なかなかに色々あったなあえーん
窓ガラス割られてストーカーに追いかけられたこともあったし。

人生いろいろですね爆  笑

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