愛と恋愛の違いについて。エックハルトトール。

エックハルトさんのサイトより。

質問:

私たちがワンネスであるのなら、どうして私たちは、誰か特定の人に惹きつけられて「個人的な愛」を表現したくなるのでしょうか?

私たちはワンネスな存在なのに、どうして恋愛をしてしまうのでしょうか?

エックハルトトール:

真実の愛とは超越したものです。

あなたの中の形のない世界の認識なしには真実の愛の表現はあり得ませんし、他者の中にあなたを見出すこともできません。

他人をあなたの要素(形ではない世界)として認識することが真実の愛のことです。

条件づけられた思考を働かせて、あなたを思考と完全に同一視している限り、真実の愛は現れません。

「愛」と呼ばれる他の形(それは本当の愛のことではありませんが)として現れることはあるかもしれません。

たとえば、恋愛はおそらくもっともそれを感じさせてくれるものです。

もしかしたら1人や2人、真実の愛を感じる瞬間があるかもしれませんが、その一方で恋を終わらせたくないという感覚も体験しています。

真実の愛と、形ある世界でのいわゆる愛と呼ばれているものとの違いを意識している必要があります。

私たちは形ある世界という相対的な世界と、形のない世界である意識という絶対的な世界の両方に住んでいます。

私たちが体現しているこの2つの世界は、ヒューマン(形ある世界の側面)と、ビーイング(形のない時間の存在しない意識の世界)のことであり、ヒューマン・ビーイングである人間のことを示しています。

個人的な愛は、他人と自分とが似ていると思ったり、逆に似てないと思ったり、自分に足りていないところを他者に見出したりすることから生まれたりと、いろいろな理由から生まれます。

あなたという形を生み出した形あるもの、つまりあなたのお母さんもまた形あるもの同士の類似性を示します。

あなたは「個人的な愛」と呼ばれる感情をお母さんに向けています。

男性と女性という非類似性も個人的な愛をもたらす理由になります。

しばしば、性別の違う他者に惹かれ、それが愛と呼ばれたりします。

特に、長いこと性的行為が禁じられていると、取りつかれた愛になりやすいです。

結婚するまでセックスが許されていない文化では、恋愛は一大事であり、自殺に追い込まれることもあります。

男性、女性の間で惹かれあうことは、形あるものの不完全さを示していますが、それは自然なことです。

「あなたが男性か女性かどちらかである」という不完全さは、形あるものの不完全さを示す代表例です。

このとき、ワンネスは男性と女性の2極で体現されています。

全体性、完全性、満ち足りた感覚を相手の中に見つけようとしています。

ワンネスを発見するための試みです。

それが惹かれあうことのおおもとにある理由です。

恋愛は形あるものを用いて行われています。

なぜなら、このときあなたは全体の半分であり、ワンネスではないからです。

おおざっぱに言って、人類の半分は男性であり、半分が女性です。

あなたが何か特別な質を持っていると、それに似たものを持っている人が共鳴しあってあなたに惹かれます。

もし何も共鳴しないならその人とあなたとは全く別な質なのかもしれません。

また、もしあなたがとても穏やかな人なら、活動的な人に惹かれるかもしれません。

逆もまたしかりです。

類似性にしても非類似性にしても、そこでもまた、あなたは完全性を望んでいます。

真実の愛とは違う、いわゆる個人的な愛に補完性を求めています。

もしそこに個人的な愛しかないのなら、様々なものを失っていくことで形のない世界へと進んでいくことができます。

そして、真実の愛が生まれてきます。

あなたの愛は個人的な愛ですか?個人的なレベルのものですか?

その見極めについては、その愛が結局は何か辛くてストレスなものになるならそれは個人的な愛であり、深みが増すものであれば真実の愛と言うことができます。

最初から性的なところから惹かれ合う人もいると思います。

その二人が一緒に生活を始めますと、関係性を満たすことができなくなって耐えられなくなり、それほど長くもちません。

性的な感情で惹かれ合うことは、愛のレベルをある程度深める必要があり、そのためには性的感情を次のレベルの次元へ持って行く必要があります。

そのとき、真実の愛が個人的な愛を通して輝き始めます。

大事なことは、真実の愛は、あなたという時間のない形のない世界から生まれてくるものだということです。

形ある世界のものを使ってうまくあなたの個人的な愛を輝かせることができていますか?

もしできていないなら、形あるものに対し自分を完全に同化させています。

形あるものと完全に自分を同化させるとそれはエゴとなります。

「これが愛だ!」と思ったあとで、一緒に住み始めてちょっとたつと、「これは間違いだった」「完全に騙された」と思うことがたくさんあるかもしれません。

とても近い結びつきであるはずの親子の関係においてもそれは言えます。

超越した次元に愛がないのなら、結果的には、親子の愛も、他の違った形の愛として現れてきます。

これが多くの人たちが両親との間で非常にまずい関係性ができてしまう原因です。

形あるものをベースにして関係が始まり、その後、超越した次元の関係性に移るカップルもいます。

おそらく、多くの問題を抱え、破局寸前になりながらも、突然、関係性が深まる経験ができたのでしょう。

そのとき、相手との関係性に空間を持たせられるようになっています。

ポイントは、「この関係性に空間はあるのか?」「思考と感情だけで関係性を作っていないか?」と自問することです。

もし一緒に住んでいる人との間に、思考と感情だけの関係性しかなければ、それはひどい牢獄となります。

自分は行ける!と思えたとしても、そこには摩擦や抵抗が待っています。

私たちは、いろいろな理由からお互いを個人的な愛で惹きつけ合っているということを認める必要があります。

しかし、個人的な愛では究極的には満たされることはありません。

むしろ、苦しみの素となります。

次の次元へのステップを失敗してしまうと、愛が苦しみの素となります。

どうやって次のステップへ超越していくのでしょうか?

相手とともに空間でいることです。

それはつまり、相手といる間も、あなた自身の中の静寂にアクセスすることを意味します。

思考の騒音でもなく、感情の波でもなく。

感情や思考をなくせという意味ではありません。

空間が生まれると関係性の中に他の何か別なものが現れます。

これは、近しい人との間だけでなく、職場でも応用できます。

どんな人との関係性においても、「空間は持ててる?」と自問してみてください。

それが真実の愛へのポインターとなってくれます。

空間は思考や感情さえも重要でなくなったときに現れます。

誰かと誰かが一緒に暮らすとき、その日するべきことがたくさんありすぎて相手の存在を無視してしまうことがあります。

朝起きたとき、相手の存在をちゃんと認識できていますか?

もしあなたが相手に対して人としてではなく空間として存在することができたら、それは最も素晴らしいことです。

まさにこの瞬間、あなたは人としてここにいるのか、それとも、空間としてここにいるのか、のどちらかになります。