「喪失後の安らぎ」エックハルトトール。

エックハルトさんのサイトの記事より。

質問者から。

「私の息子は10か月前に海でおぼれて死にました。

私は受け入れました。

そのとき、わたしは平和と安らぎで満たされたのですが、それはなんだかおかしいことだと思うのです。

そのような喪失の後に、平和と安らぎを感じるなんて間違ってると思うのですが、どうでしょうか?」

大切な人が亡くなったあと最初に苦悩するのは自然なことで、それから深いところへ入っていきます。

どんどん潜っていくと、もはや死の存在しない場所へたどり着きます。

それを感じられたということは、あなたは十分深いところ、死の存在しない場所まで潜ったことを意味します。

あなたの思考が社会によって条件づけられていると、あなたの思考は「それじゃ何かおかしいでしょ」と語りだします。

あなたの住んでいる現代社会からではまったく理解できない世界だからです。

あなたの思考は言います。

「わたしは平和を感じるべきではない。

このような状況では感じてはいけないものだ。」

しかし、それはあなたの住んでいる文化によって条件づけられる思考です。

条件づけられた思考がいつどんなときに起こるのか知ることも大事かもしれませんが、まずは、それが真実ではない条件づけられた思考であることに気づいてください。

悲しみの波がもう戻って来なくなると言っているわけではありません。

時々やってくる悲しみの合間の中に平和な感覚を見出します。

あなたがその平和を感じた時、時間に縛られない子供の命も感じることができます。

死というものは、ただ単に恐ろしいものではなく、とても神聖なものです。

あなたが形あるものの喪失として反応してしまうと恐ろしいものとなります。

あなたが形のない世界まで十分に降りることができると、恐怖はもはや恐怖ではなくなり、神聖なものとなります。

そして、誰か近しい人が亡くなったとき、あなたは2つのレベルにある体験をします。

そうです、形あるレベルでの恐ろしい体験と、深いレベルで体験する神聖な感覚です。

死は、あなた自身の中にその2つの側面があることに気づかせてくれます。

もしあなたがその命の神聖な側面に気づいたら、あなたは数えきれない人たちを救っていることになります。

命は死なないからです。

死は、命は死ぬことがないという命の神聖な側面をあなたに気づかせてくれます。

降参するとそのドアが開きます。

死を完全に迎え入れます。

すると、神聖な世界があなたを迎え入れてくれます。

そして、「大切な人が死んだのに平安を感じるなんておかしい」と言っているあなたの思考が条件付けから来る単なる形であることに気づきます。

思考の言っていることは真実ではありません。

これが真相です。

喪失体験は常に形のない世界への窓口となっています。

喪失を受け入れると、手放すことができます。

死に降参すると、形あるものは去っていき、あなたの思考は鎮まるからです。

説明して死を受け入れようとしてもこのことは起きません。

死ぬとあの世へ行くとか、平安な場所へ行くとか、生まれ変わるとか、説明することはできます。

そういった説明は心地よいものかもしれませんが、あなたは説明のいらないもっと深いところへ行くことができます。

そこでは、死の神聖さに瞬時に気づくことができます。

形あるものが溶け去ったあとそこに開かれているものは、形あるものの向こうにある命だからです。

これは唯一神聖なことです。

何かを失い、失ったことを完全に受け入れると、その世界をちらっとのぞけるようになります。

死がその世界をちょっとのぞかせてくれます。

それはあなたに小さな気づきを与えてくれます。

あなたに準備ができていれば、より大きな気づきになると思います。