「私は自己評価が低く常に不安でネガティブ思考で守りに入ります。どうしたらいいのでしょうか?」エックハルトトール。

エックハルトトールさんのサイトより。

質問:

私は34歳です。

いい仕事いい家族に恵まれています。

すばらしい男性と結婚しています。

私はひどく心配性です。

何を望んで人生を生きているのか分かりません。

私は自己評価が低く、ちょっとしたことで自分を守ろうとします。

私はめったに喜びを感じることがありません。

とてもネガティブ思考です。

他人から認められる必要があると思います。

エックハルト:

この質問は質問ではないようですね。

でもそこには質問が隠されていそうです。

まず、自分が心配性であることに気づけていることは幸せなことだと思います。

心配を抱えている人みんながそれに気づけているわけではありません。

心配していることが実質当たり前になってしまっていて、「なにか心配事はありますか?」と質問すると「いや、特に」と返事が返ってきます。

「私は人生に何を望んでいるのか分かりません」という質問は、まだ知らない場所(そこはとてもいい場所ですが)を求め始めているように見えます。

「私は自己評価が低いです」は、自分が自己評価を低く持っていることに気づけていることを意味します。

「わたしはちょっとしたことで守りに入ってしまいます」もまた、自分を防護してしまう自分に気づけているということです。

問題は…守りに入ってしまったその瞬間に、そのことに気づけているかということです。

少したってからそのことに気づいていませんか?

「わたしはめったに喜びを感じることがありません。」も、良い自己観察だと思います。

「私はネガティブ思考です」も良い自己認識の一例です。

この瞬間に「私の頭の中でほかにどんな思考が起きてるだろうか?」と自問することができます。

守り、低い自己評価、不安、こういった感情が起きた時のこの気づきを今この瞬間にもあてはめたなら、頭の中で繰り返して話しかけてくるのは思考であることが分かってきます。

自己評価を下げるように思考は話しかけてきます。

思考が話しかけてくるとそれに即した感情も起こってきます。

しかし、低い自己評価を作り出すベースは、あなたの価値は低いと話しかけてくる思考にあります。

質問者は自分のことを自己評価を低く思っていると知っています。

そして、その瞬間の思考の動きに気づけていたら、条件づけられた繰り返される思考というものが必ずしも正しいわけではないことに気づけるかもしれません。

おそらく、低い自己評価というものは幼いころから始まっています。

両親がとても批判的でそれでいいわけがないと言われているような人たちは自己評価が低くなることが多いです。

そこで条件づけられた思考法が確立されるのでしょう。

質問者の中にすでにある「今」という気づきを、そういうった思考が現れた瞬間に意識してください。

そういった思考を思考として認識すること。

それができれば、あなたはもはや思考の言っていることに完全に捕らわれてしまうことはありません。

言い換えると、あなたの存在するという感覚はもう思考の中にはないということです。

気づきの中に思考があります。

たとえて言えば、空の広大さがあなたの気づきで、雲があなたの思考と言えます。

雲(思考)は空(気づき)の中を生まれては流れていきます。

あなたは思考の向こう側にある気づきです。

このことはどんなネガティブ思考にも適用させることができます。

思考が起きるとあなたは自動的にそれをネガティブ思考と認識してしまいます。

それが思考です。

あなたはその思考(低い自己評価)がネガティブ思考のパターンを作ることに気づけています。

気づいていることであなたはもう条件づけられた思考にえさをあげなくなります。

思考の束縛から本当の自分を見出すので、思考の古いパターンをもう作らなくなります。

もともとそこにあったいくらかの気づき。

それを育てると、つまり気づきを深めると、条件づけられたパターンは消えていき変わっていきます。

「わたしはすぐに守りに入ってしまいます」という質問は、守りというものは、人間同士の交流の中で瞬時に生じるものという人間の性質を表しています。

それは自動的なパターンです。

「また守りに入ってしまった」と後になってから気づきます。

これはエゴのいつものやり口でそうやってエゴはエゴを守っています。

エゴという存在を無傷に保つために守らなければならない様々な状況を作り出します。

「守りに入るときはいつでも、幻想と自分を同一視していることを知ってください」という「奇跡のコース」の優しい言葉があります。

これはおもしろいことです。

たとえば、あなたが「ここから月までは35万キロあり光が月に届くまで1秒かかる」と言ったとします。

他の誰かが「いや、それは違う、1分かかる」と言います。

これは単なる意見の相違ですが、あなたは自分以外の人が間違っていると思います。

もし「いえ、それは違います」と言ったらそれは守りでしょうか。

言い方によりますよね。

問題は…自分が正しいと思うことと自分とを同一視していませんか?ということ。

思考による自分が正しいという立場と自分とを同一視していませんか?

あなたは思考から自分の感覚を引き出していますか?

思考と自分とを同一視すると、あなたは完全に間違っている他の人に対し怒ったり守りに入って「あなたはいつも私のことを疑っている」と言うかもしれません。

それはエゴがエゴを守ろうとしているからです。

「奇跡のコース」で言っていることも同様です。

あなたは幻想と自分とを同一視しています。

ここから地球までが1秒かかることが幻想なのではなく、思考と自分とを同一視させていることが幻想です。

思考のパターンという幻想。

自分の考えの立場を強めることで幻想は強まっていきます。

エゴが守りに入ることで意見の違いが大きな問題となっていきます。

エゴがいつ起きてくるのか、あなたの側で意識している必要があります。

あなたの気づきが鍵となります。

気づきが深ければ、あなたの言う感情のパターンは消えていきます。

あなたの中にはもうすでにかなりの気づきがあります。

気づきは人によるものではありません。

人より深いものです。

そういった感情が起きたとき、気づきを今この瞬間にあてはめます。

「私はネガティブではない人になれるのだろうか?私は今までのパターンを取り除くことができない」といった方法ではうまくいきません。

そこはあまり問題ではありません。

問題となるのは、今この瞬間です。

あなたの気づきをただ、今この瞬間に当てはめてください。

あなたはそういった感情を精神的に変えることはできません。

「どうやって変えればいいんだ?もうこんな人間はやめたい」

それは忘れてください。

今この瞬間とはあなたが今を当てはめた場所にあります。

今この瞬間という剣で時間を断ち切ってください。