正義感と優越感と裁きの心。

どうも、こんにちは。ネスセラピストのたけさんです。

右足がバイクの下敷きになってからちょうど1か月がたちました。

僕にとっては、コロナの緊急事態宣言よりも、右足が緊急事態の1か月でした。

ようやく、右足に体重を乗せられるようになりましたが、まだアキレス腱周りが伸びなくてびっこ引いております。

最近、ニュースで気になった話題は、コロナのデマと検察庁法改定について。

デマ予防の動画を作成した日本赤十字の臨床心理士さんは、デマを流してしまう心理として、

①正義感

②優越感

➂裁きの心

があるとおっしゃっております。

その根底にあるのが、「恐怖」ということでした。

デマを流す人は、デマを流そうとしてデマを流そうとしたわけではなく、コロナからみんなを守ろうとする正義感から不確かな情報を流してしまい、動機としては善意に基づいているんですが、結果的に誰かを傷つけてしまっている。

裁きの心も同様。

大事な人たちを守るために、「そんなことしたらコロナが広まってしまうでしょ!絶対にダメ!けしからん!」と正義に基づいた動機があります。

②の優越感は、他の人が知らない情報をいち早く他者に教えてあげている自分に快感を覚える、といった感じでしょうか。

ちなみに、NESでは、①の正義感と➂の裁きの心はほぼ同義で、臓器では「胃」に相当します。

正義はjustice、裁きもjustice。

正義の反対は不正。

胃は自分にとって栄養となる良いものだけを吸収します。

自分の意に沿う正義は受け入れますが、それ以外のことは受け入れられません。

②の優越感は、生き延びるために他者よりも優位に立つ、他者を蹴り落して競争に勝つ、敵でもないのに外部環境に敵を作る、と言った意味合いのある「免疫」が近いような気がします。

そう考えると、検察庁法改正騒動も、正義感や裁きの心理じゃないかなぁと思うわけです。

定年延長が悪いわけじゃないですよね。

高齢化社会、定年が伸びて、自分の能力を社会に貢献できる年数が伸びることはむしろ良いことだと思います。

お話を聞いていると、問題となっているのはどうやら、司法の公正さが損なわれるかもしれないという恐れのようです。

内閣から定年を延長してもらったから、検察は内閣をかばうような司法をするんじゃないですか?内閣は隠れて悪いことをしやすくなるんじゃないですか?という不信感ですね。

それって、不信前提、悪いことをするものという前提、性悪説前提、恐れ前提で話をしていると思います。

安保改正のときもそうですね。

自衛隊の活動範囲を広げたら戦争につながるかもしれないという恐れ。

日本人はそんなに簡単に戦争を始めちゃうもんですかね?

日本の司法は、定年を伸ばしたくらいで不正をするようになっちゃうしょぼいもんなんですかね?

定年を延長しても、公正さを持って司法をつかさどるのは当然なことだと思います。

公正さは司法の専売特許ではないと思います。

政府、国会も司法と同じ様に公正さを保持していただきたいと思います。

法改正騒ぎの世論を聞いておりますと、政府や国会は司法ほど公正さを保たなくてもいいと言っているように思えてきます。

定年を伸ばすことに恣意はないとする安倍首相の発言も当然。

ですが、恣意があるという事実がすでに世論の中で出来上がっているように見えます。

安倍さんの真意を一生懸命説明したところでもう受け入れられないでしょう。

そういう意味では、安倍さんのアピールの仕方にちょっと問題があったのかな。

安倍首相も世論も正義に基づいているのではないでしょうか。

安倍首相は定年延長することで国民に対し安定した司法を継続することができると判断しただけかもしれません。

世論は、司法の公平さを損なう国民にとって不利益なことと正義に基づき主張します。

学校教育も正義に基づいていると思います。

子どもたちの学力を高め世界一になることは、日本が生き抜き、日本の未来のため、若者の明るい未来を創るために、とてもいいことである。という正義感。

学校の正義って、法律の改正後よりも、先が予想しやすいから、けっこう強固です。

がんばって勉強すればいい結果が待っているような気がしちゃいますよね?

僕自身子どものころそう教えられてそう信じてたし、病院で働いてたころも「看護の勉強しなくちゃ!」と思っておりました。

実際勉強すればテストでいい点数とれるし、病院でも勉強すると先輩看護師さんとの関係がよくなったような気がします。

ちなみに、僕は循環器病棟だったので、心電図の読み方をけっこう勉強しました。

そしたら、怖かった先輩看護師さんたちが心電図の波形を僕に聞いてくるようになりました。

でも、勉強のために生きてるわけじゃないよなぁともなんとなく思ってました。

勉強は悪いものではないんですが、楽しくできるといいですね。

楽しいから勉強しちゃう、が理想だと思います。

昔はスピリチュアルがおもしろくて勉強しておりました。

でも、スピリチュアルって落とし穴があって、勉強していくと穴に落ちます(笑)

今回の話題にも近いのですが、正義のスピリチュアルみたいな感じでしょうか。

勉強すると優越感が頭をもたげるんですよね。

「あなたはもっとスピリチュアルに生きた方がいいです」という正義感・裁きの心も生まれます。

僕たちはスピリチュアルの基本を押さえていればよくて、それ以上のことはそれぞれが感じればいいことかなと思い、最近はスピリチュアルについてあれこれ記事にすることはあまりしていません。

最近は英語にハマっております(笑)

英語の勉強が楽しいです。

記事が英語の話ばかりになって申し訳ありませんが、それが今僕がしたいことです。

さとこちゃんも言ってますが、学校の勉強はおもしろくないですね。

おもしろいのもあるけど、ほとんどはあまり興味のないこと。

「つらくても勉強しろ!イヤでも歯を喰いしばり登校しろ!お前のためだ。そして、日本の未来のためでもある!」が学校の正義ですね。

プラス、オプションで、学校へ行くことで社会性が育つ、だから、会社で働いたあとうまく適応することができる。という正義感も用意されております。

適応というと耳当たりがよいですが、全体主義、国体思想とも言えますね。

日本国家のためにみんなでがんばろう!

で、結構、みなさん、本気でそう思っているので、「学校へ行くこと」は国民の正義でもあります。

善意に基づいた情報でも、検察庁法改正でも、学校のことでも、なんでもそうですが、正義ってふりかざすと②の優越感が満たされます。

正義に生きると謙虚さに欠けた傲慢な人が出来上がります。

ちなみに、「学校のここがいけない!」「学校はこうあるべきだ!」というのも正義の主張になりますのでご注意を。

僕もそうならないように気をつけたいと思います。