「学校へ行かない選択」をした後は、夫婦と本人とで方向性が同じでも、
おじいちゃんおばあちゃん、近所の人、学校側にはなかなか理解されないという状況に直面する。
たけさんのお母さんとは、くうちゃんが学校へ行かないことについても、
くうちゃんの特性、感じ方についても、
たけさんが仕事を辞めることに関しても、本当にたくさんのメールのやりとりと電話をしてきた。
電話がかかってくると、
「くうちゃんは今日は学校へ行きましたか?」が第一声だった。
それが最近は
「みんな元気ですか?」に変わってくれた。
私としては嬉しい変化だった
きっと今、おかあさんの中で、
くうちゃんは学校へ行かないにしても、下二人には行ってほしい、
そんな気持ちがすごくあるんだと思う。
だから、最近は「ちーぼーとねっちは保育園に元気に行きましたか?」
って必ず確認が入る。
「今週は月曜日は休んで他は行きましたよ。ちーぼーは基本行きたくないですね。
早く小学生になって、くうちゃんみたいに毎日お休みばかりしたいって言ってます(笑)」
って返事をしたら返ってきたことば。
「それは困ります。ランドセルしょって帰ってくる姿を見るのがおばあちゃんの夢だって伝えてください。」
「伝えるだけ伝えておきますね~」って私もさらっと流す
下二人には学校に行ってほしい
そのお母さんの気持ちはわかる。
私もそう思ったことがあるから。
今は、私にとって学校に行く行かないはただの選択肢のひとつ。
「今」、自分に対する満足感と共に日常を過ごしてもらいたい、
誰かに何かをやらされるのではなくて、自分の中から沸き起こってくる
素直な自分をそのまま日常で表現していってほしい、
そんな風に思っています。
入学を控えたちーぼーに、先生たちは
「学校来られるかな。お兄ちゃんも連れて一緒に来てね」と声をかける。
きっとくうちゃんのおかげで注目の新一年生(笑)
そういえば、自治会の新年会の時に、地区の長老が話しかけてきてくれた。
「くうちゃんはどうしちゃったの?」って。
その時は何のことかわからなくて、「え?元気ですよ。毎日うちで元気に過ごしてますよ」
って答えたけど、
学校に行かないことを心配してくれてたんだって今気づく
たけさんのお母さんの夢はわかった。
でも、学校に行くか行かないかはちーぼーが決めること。
くうちゃんは大人の期待をランドセルに詰めて、すごくすごく重みを感じながら、肩の荷背負って
毎日私のため、相談にのってくれてる先生やカウンセラーや市の職員のため、がんばって通ってくれていた。
自分が悲鳴をあげていて、それを周りにだしてもなかなか休ませてもらえない状況で。
今考えても心が痛む
私も以前は誰かのために、とか、自分を認めてもらうためにがんばる、という行動をよくとっていた。
だからできるできない、成功と失敗、挫折、そんな感覚があった。
今は自分を中心においてみたら、実験を繰り返している感じ。
そこには成功も失敗もない。ただの行動の繰り返し。
人生というゲームをしている感覚。こっちのボタン押してみよっかなって気軽に動けるようになった。
自分を認めてもらう必要なんてないと思った。
だって、子供の存在みてると、本当にいてくれるだけで幸せだって思うもん。
みんな自分を生きることを忘れちゃうと、自分が素敵だってこと、みえなくなっちゃうんだよ。
自分自身好きになると、世界が本当にまったく違う。
本当に素敵な存在でしかないんだよってこと、私は伝えていきたいと思う
子供のランドセルの中につめていくのは、大人の期待や親の子供に対する将来の希望ではなくて、
子供本人の夢やワクワクや、自分を広げていくツールがたくさん入るといいなと思う
自分って素敵だな💕ってエネルギーと一緒にね