決まりって何のためにあるんだろ

去年の今頃、保育園拒否しまくっていたちーぼーが、私のためとがんばって練習に向かってくれていた。
小学校に行っていないくうちゃんが、ちーぼーのことを一生懸命応援してくれていた。
くうちゃんと私でちーぼーを応援し、くうちゃんもちーぼーの劇をみたい、楽しみだと言っていた矢先、
保育園から「小学生は入園式はじめそういうイベントには来ないようにというきまりがあります。お兄ちゃんがお楽しみ会に来るのは遠慮してもらいたいです。」って言われた。
とっても悔しかった。くうちゃんの楽しみを奪われた気分になった。
くうちゃんの経過も特性も全部わかってくれているはずなのに、ちーぼーがどんな気持ちで家族の応援も

受けてなんとか通えている状況かということもわかっているはずなのに。
くうちゃんが人混みと分かっていても外に出ていくことは、よっぽどの楽しみなことなのに。
狭い園内に小学生がたくさんくるようになってしまったら困るという理由らしいけど、
平日の昼間に家にいる同じ学区の小学生は、うちしかいない状況なのに・・・。

ちょくちょくと不登校や障害という現実がせつない感覚や否定された感覚として襲ってくるこういう出来事って、
何気ない中で日常によくある。やっぱり、理解はなかなかされないなって思うこと、本人も家族も行動を制限されるって思うこと。
勝手に自分が感じているだけなんだけど・・・

私にとっては一大イベントだった去年のちーぼーのお楽しみ会。
保育園の対応に怒りと孤独感に襲われて一か月ほど私は不安定だった記憶がある。
でも、その出来事も旦那にとってはどっちでもいいことで。しょうがないでしょって。

同じ出来事でも受け止め方がこんなに違うんだと感じた出来事でもあった。

色んな決まりがあって、でもそれって何のため?って疑問を感じることは見直しすればいいと思う。
時代も人も変わってるのに、決まりや制度が変わらずにそのままってことはたくさんあると思う。
決まりだからって理由でその決まりを守るのって本当によくわからない。
この一年、私は自分の中の決まり、価値観の変更をたくさんしてきたように思う。
変更したくてもなかなかしみついて変更できない価値観もたくさんみつけた。

こんなことを考える私の横で、そんなことどっちでもいいじゃんって、
そんな私を、どんな部分持ってたって、大好きなさとこちゃんには変わらないからいいじゃんって、
私の存在を受け止めて泳がせてくれる子供たち。
私が私自身を、自分の中の決まりに囚われず、もっと自由に泳がせていけばいいやと思う今日この頃です。
子供たちが教えてくれているように、まんまの自分でいいんだから。

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