出席扱いにするかどうかはどうでもいい。

「不登校児童生徒が自宅においてICTなどを活用した学習活動を行った場合も出席扱いにして、

その成果を評価に反映することができることとする」
って文書が、先日行った不登校児童生徒の意見交換会で配布された資料の中にあった。

学校に行かないことを自分の意思で決定したくうちゃんや私にとって、
自宅でタブレット学習をしたことや自宅や他の場所での取り組みが出席扱いにされるかどうかって本当にどうでもいいことで。

そして評価は一体何のために?進学における内申点?

一人の先生の価値観や、数値で現れてくることだけで評価されたものを人を選ぶ基準にしてる場所へは
くうちゃんは窮屈だろうし、そういう社会は選ばないと思う。私も選ばない。

私は他人の評価を気にするあまり、自己評価もとても低かったし、できない自分が嫌だったし、
色んな人の顔色をうかがうのがうまくなった。
それはそれで役に立つ状況のときもあるんだけど、ベースになる自己評価が低いと、なんだかおかしな方向に自分が向いていく。
自分の意にそぐわない目的目標の中で他人から評価される。「自分」が抜け落ちちゃう。
そりゃしんどくなっちゃうよ。
学校に行かなくなってもらった通知表には、くうちゃんは病欠ということになっていた。
最初はそれがとても違和感だったことを思いだした。なんで病気にされちゃうの?って。
無理やり学校に行かされてた時の方が、よっぽど病気だったけどなって。
昔は、幼稚園に行けない、学校に行けない時には、なんとなく調子が悪くてって欠席連絡を入れてるときもあった。
一生懸命な先生たちに悪い気もして。毎日の欠席連絡も負担でしょうがなかったな。
今はちーぼーが保育園行かないとき、気が乗らないから休みますとか、「自欠」ですって連絡します。

学校に行けたかとか、学習ができたかどうかの日数より、自分でいられたか、リラックスして楽しく過ごせたかの日数を数えていきたいなと思う。

ま、くうちゃんにとったらこういうこともどっちでもいいことなんだろうけどニヤリ
安心できる人の中でいつものんびり過ごしたいな~
ここ数日は、スマホの修理中でにゃんこ大戦争ができなくてとっても悲しいな~
そんな今を生きているくうちゃんです照れ

今日はどんな今を生きるのかな。
どんな今でも私は一緒に横に在るだけ。もちろん私がイライラしたときもそのままの今の自分をくうちゃんにぶつけつつ(笑)

Facebookページ「いいね!」

フォローする

シェアする