欲しいのは思い出じゃなくて今

ちーぼーが学校へ行っていないことを知って、
たけさんのお母さんからかかってくる電話の回数が増えた。
まあ予想はしてたけど。

昨日も休んだことを伝えると、
「困ったな。何とかしていけるようにしないと。」

そして続いてお決まりの、
「たけあきには安定して給料がもらえる仕事についてもらわないと」
の話題も。

もう何回も聞いてますー。

実際学校に付き添ってみて、私が感じた感覚を一通り伝え、
今嫌がるのを無理に連れていっても、
メリットがないように私は感じたから、学校に行っていないことを伝えた。
お母さんは私が学校につれて行く気がそんなにないことを知って、
かなりがっかりしてる様子。

お母さんは
「卒業アルバムにくうちゃんやちーぼーの写真がのらないのはさみしい。
だからちょっとでも行っていてほしいと思う。」
と言った。

その気持ちはとてもわかる。
お母さんよりも何回も味わったし、現実として感じた。

みんながやっている行事に子どもが参加できないさみしさ。

出ていない劇のDVDに、名前だけ入れてくれた時のさみしさ。

幼稚園のアルバムからくうちゃんの写真が消えていくさみしさ。

学校から配布されるお便りにもくうちゃんはいない。
くうちゃんができなかったことばかりが書かれている
お便りを見る時のさみしさ。

たくさんたくさんその気持ちは味わった。
消化していくのに時間もかかった。

でも、私が欲しいのは、子どもたちの思い出じゃない。
子どもたちの「今」が欲しい。
まんまの自分でいられる「今」をプレゼントしてあげたい。

ちーぼーに関しては、七五三も嫌がった。
私も写真とかお参りだけでもって気持ちはあったけど、
おうちで好きなものを食べてお祝いした。

「大きくなってから、写真もないの?って言われるよ」
そう言われたけど、
写真が欲しいのはお母さんであって、
ちーぼーではない。
大きくなって写真が欲しかったと言われたら、
断固拒否したちーぼーを懐かしみながら一緒にお酒飲みたいな。

「ちーぼーはくうちゃんと違って普通なんだから、
勉強だってついていけるでしょ?
たまには行こうって連れて行った方がいいと思うよ。」

たまには行こうですんなり行ける子だったら、
くうちゃんの時も、ちーぼーの保育園の時も何も苦労はしなかった。
楽しくないと感じているところに、何の目的もなく
ただ行ってみようでいく子じゃありませんって答えた。

私からすれば、お母さんの感覚の方が普通じゃない。
私には私の、くうちゃんにはくうちゃんの、
ちーぼーにはちーぼーの普通がある。

自閉症の診断がついていたって、ついていなくたって、
そこは何の関係もない。

勉強はやりたくなった時にやればいいし、
やりたくなった時の集中力はすごいし、
逆に受け身の勉強になってしまうことの方が、私は嫌だ。
学校に望むとしたら机上の勉強以外の部分。
でも、コロナの状況でその部分は減るだろうなとも思う。
そんな思いを伝えていたら、

「だから学校は9月スタートにすれば良かったんだよ。
学校も困ったもんだな。」
とため息をついていた。

困ったことが多くて、お母さんも大変だなあと思う。
私は申し訳ないくらい何も困っていない。

相変わらず言いたいことをズケズケ言う生意気な嫁っぷり。
よく聞いてくれてると思う。
私の意見に納得いかない部分も多いだろうけど、
私も結構頑固だから、曲げないとこは曲げません。

でも、まだ、「もう少し電話の頻度を少なくしてくれたら嬉しい。」
とは言えていない(笑)

私が見ているのは、将来への備えでも、安心材料を増やすことでもなく、
思い出でもなく、「今」です。

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