鬱を乗り越えるためには一回死ぬ必要がある?エックハルトトール。

エックハルトトールさんのサイトより。

質問:

エックハルトトールさんは「魂の闇夜」を体験したことはありますか?

あなたの教えは苦難の時を乗り越えるのにとても助けになってます。

このテーマについて教えてください。

エックハルトトール:

はい、わたしもそれは経験したことがあります。

「魂の闇夜」という言葉は、ずっと昔にできた言葉です。

人生でそれまで信じていた意味が崩れ去ってしまうことを言い表しています。

意味が崩壊し、あなたの人生がとても無意味なものに感じるようになります。

そのときの精神状態は慣習的には鬱と呼ばれていますが、それに近い状況です。

何ももう意味をなさなくなります。

どんなものにも目的を見出せなくなります。

その状態は身の回りで起きる出来事から生じることがあります。

例えば災害といった環境的要因が引き金になることもあります。

身近な人の死、特にまだ幼い我が子の死が引き金になることもあります。

今まで大切に一生懸命築き上げてきたもの、それ自体が自分の人生の意味になっていたものが何らかの理由で突然崩れ去ったことによってもたらされます。

それまで自分の人生に意味を持たせてくれていたものが災害などによって無に帰す…そういった言葉では説明できない理不尽な出来事があなたに起きたとき、魂の闇夜は訪れます。

でも、その時に崩壊している物は実はあなたの人生の意味ではなく、人生に対するあなたの概念的な枠組みが崩壊しています。

今まであなたの思考があなたの人生に持たせていた意味が崩壊しています。

あなたの人生の意味が奪われることで、あなたは今暗闇の中にいますが、その暗闇の中から意識の状態に変容したあなたが現れてきます。

すると、再び人生に意味を見出し始めます。

今度は概念的な人生の意味付けではありません。

概念的なレベルでは、自分の人生にどんな意味があるのか説明する必要がありました。

概念が創り出していた現実から目覚めた人は、自分の人生にどんな意味があるのか必ずしも説明を要しなくなります。

崩壊していたのは、実はあなたの概念が創り出していた現実でした。

このことに気づくと、あなたは思考に基づいた概念の世界よりも深い世界に入っていきます。

あなたは概念や説明が要らないもっと偉大なものとつながります。

するとあなたはもっと深いところにあった人生の目的に気づきます。

これは生まれ変わりのようなものです。

闇夜の魂は死のようなものです。

何が死ぬのかと言えば、あなたの自我の感覚が死んでいます。

もちろん、死というものは常に痛みを伴いますが、実際はそこでは何も死んでいません。

今まであるように思っていた自我という幻想が死んだだけです。

さて、おそらく、このような体験をした人は、スピリチュアル的目覚めを得て変容を迎えるには、こういったプロセスが必要であると感じている人が多いと思います。

古い自我が死に、真実の自分が生まれる。

確かにこれは目覚めでよくある過程の一つですが、コース・オブ・ミラクルではこのことを踏まえて変容のレッスンをしています。

コース・オブ・ミラクルの最初のレッスンでは、「この部屋で私が見るものすべてに意味はない」と教えます。

そして、受講者は部屋の中を見渡して何かを見たら「これには何の意味もないんだ」「これは何も意味しない」と言ってもらいます。

このレッスンの目的は何でしょうか?

これは、魂の闇夜のあいだに起きている生まれ変わりと少し似ています。

思考による意味づけ、概念的な意味づけによって、今まで当たり前に信じて行っていた人生の意味づけを終わらせています。

コース・オブ・ミラクルのレッスンで、「わたしにはこれの意味するところがわかりません」「これは何も意味しません」と言ってもらうことで、思考に自発的に意味づけを捨て去ってもらいます。

黒板に書かれた文字を全部消してもらいます。

魂の闇夜のプロセスを自発的にしてもらいます。

これは、概念的に意味のない場所で生活をしていくことを意味します。

あなたは無知の状態になると言えるかもしれません。

今まで状況や文化などによって条件付けされていた意味がなくなってしまうのです。

思考による意味づけの枠組みを世界に投影することなく周りを見ることができるようになります。

これはあなたが何も理解できてない無知な人のように見えるので、思考はそうなることを怖がりますが、実際にはあなたの思考を意識的に抱きしめてあげる作業と言えます。

意味づけをしないレッスンは魂の闇夜に似た状況をもたらしますが、強制的な意味づけはもうしなくなり、思考や概念ではとらえることのできない今ここという宇宙の周りを歩きはじめます。

あなたの中の深いところから生きているという感覚が生まれます。

その感覚を通して、出来事や人々などを見るようになります。

あなたの経験を概念的な枠組みに合わせようとすることはもうしなくなります。