「お酒や薬の力を使っても思考を超えることができる!でも…」エックハルトトール。

エックハルトトールさんのサイトより。

疲れているときは普段よりもリラックスできて平和な感覚を味わえたりします。

これは思考力が低下しているからです。

思考が作り出す問題を想起しづらくなっています。

あなたは疲れて眠りにつくと思います。

お酒をのんだりある種の薬を飲んでもリラックスできます。

しばらくの間、生きている感覚を楽しめます。

歌ったり踊ったりするかもしれません。

思考による重荷が軽くなることで、存在することへの喜びを垣間見ることができたからです。

それでお酒はスピリットと呼ばれるようになったのでしょう。

でも、そこには「無意識」という高い代償があります。

思考より上のレベルへ行く代わりに、思考の下側へ落ちてしまっています。

もう2,3杯飲んだら、あなたは野菜畑で寝ていることになるでしょう。

空間である意識は、空間から出てしまったものに対してはあまりしてあげられることがありません。

思考の上側も下側も、思考のない状態であり、それは共通しています。

しかし、そこには根本的な違いがあります。

思考を意識的に超えて上側へいくのは、人類の意識の進化の次のステップです。

お酒や薬の力を借りて思考を超えても、そこにはエゴがずっと残ったままです。

あなたの内側にある空間からの声を聞くと、あなたはその声をまた聞きたくなります。

その声を対象とか経験として探し出してしまうと聞くことはできません。

このことは、スピリチュアルな気づきや悟りを求めている人すべてに言えるジレンマです。

イエスは言いました。

「神の王国は見える形としてしるしを与えることはしない。ここにあったよ!とか、そこに!見て!神の国はこんなところにあった!と言えるようなものではない」

もしあなたが、不満足、心配、不安、抑うつ、絶望、にあなたの人生を費やすことがないなら、

もしあなたがネガティブな状態に人生を費やすことがないなら、

もしあなたが雨や風の音を聞いたりなどシンプルなことに楽しめるのなら、

もしあなたが空を流れる雲の美しさを見ることができるなら、

一人でいる時間を寂しいと感じることなく過ごせるのなら、

娯楽といった精神的刺激を必要としないなら、

もしあなたが誰かに何かを望むことなく完全に中立でいることができたら、

束の間かもしれませんが、そのとき、意識の空間は開かれています。

それ以外のときは、思考が絶え間なく流れています。

これが起きた時、かすかにかもしれませんが、安寧な感覚、平安を生きている感覚を感じます。

その強さは、おおもとである背景の存在にほとんど気づけないものから、アナンダ(存在の祝福)と呼ばれたインドの賢人のようなものまで様々だと思います。

形あるものにのみ条件的に意識を向けていると、おそらく直接的に気づくことはできません。

例えば、美しさを見たり、シンプルなものを味わったり、仲間と楽しんだりする能力は誰にでもあります。

この共通の要素は、満足、平和、生命の感覚ですが、この感覚は背景から生まれるものであり、背景に気づけていないとこういった体験はできません。

美しさや優しさやシンプルなものをいいものと感じるとき、あなたの中にそう感じさせてくれている背景を探してみてください。

何かを探すように探すことはしないでください。

ピン止めできるようなものではないからです。

「今それを持てた!」とか、思考で理解したり、どうにかして定義できるものでもありません。

それは雲のない空のようなものです。

形がありません。

空間です。

流れる雲の背景にあるものです。

それは静寂であり、存在の優しさであり、こういった言葉よりも無限なものです。

言葉は指し示すのが限界です。

自分の中にその感覚を直接感じることができたとき、気づきが深まります。

音や景色、感触などシンプルなものを味わうことができたとき、

美しいものを見るとき、

誰かに優しさを感じるとき、

内側にある空間、背景を感じてみてください。

その空間が源です。

空間がそういった感覚を体験させてくれています。